日光市の概要
日光市は、栃木県の北西部にある市で、日光東照宮や輪王寺の門前町、中禅寺湖を抱える観光都市として有名です。北は福島県、西は群馬県に隣接し、日光国立公園地域を中心とする山間部の多くは、水源かん養や自然環境の保全等の機能を担う振興山村地域に指定されているほか、一部地域は水源地域にも指定されています。また、地形は標高200メートル程度の平坦地域(市街地)から2,000メートルを超す山岳地域まで大きな起伏があり、四季を通じて変化に富んだ観光・スポーツ・レクリエーションが可能で、国内外から多くの観光客が訪れています。
日光のあゆみ
日光の歴史は、天平神護2年(766年)に、勝道上人が霊峰男体山の登頂を志し、大谷川を渡って四本竜寺を創建した時に始まるといわれています。上人は男体山中腹の湖畔に神宮寺を創建し、後にそれが中禅寺として繁栄しました。以後、山麓の四本竜寺付近と共に、日光は山岳信仰の拠点として、近郷のみならず広く関東全域からの信仰を得て、多くの修験者や僧が入山し、堂社も各所に整備されるようになりました。それに伴い、高僧の来山も伝えられ、中でも弘法大師空海の滝尾神社創建の伝説や、慈覚大師円仁の日光来山の伝説は、勝道上人の開山伝説に象徴されるような山岳信仰の霊場というだけでなく、真言・天台の二つの密教に裏付けられた正統な霊場としての日光の位置を確保し、古代における日光の信仰基盤の重厚さや深淵を高めることになりました。山岳信仰を核とする日光の歴史において、勝道上人の偉業を最重要な拠り所としていたことはいうまでもなく、上人以後、日光山の最高責任者の別当は上人の高弟が継承したことを伝えています。こうした伝説的な時代を経た後、古代末期の近隣の地方豪族の伸長に伴って、豪族出身の僧侶が別当に就く時代を迎えました。
元和3年(1617年)日光東照宮の完成以降、江戸時代には日光街道の終着地・日光東照宮の門前町として栄えました。旧藤原町では、17世紀末に鬼怒川温泉、18世紀初頭には川治温泉が発見され、日本有数の温泉保養地として発展するようになりました。一方、旧栗山村は、平家の落人により集落が築かれたともいわれ、平家杉や平家塚などの史跡が残されているほか、湯西川や奥鬼怒温泉郷をはじめとする温泉保養地としても栄えました。
明治22年(1889年)の町制施行により、上都賀郡日光町となり、翌年には旧国鉄(現JR東日本旅客鉄道)日光駅が開業し、続いて昭和4年(1929年)に東武日光駅が開業しました。その後、昭和29年(1954年)に日光町が小来川村を編入して市制を施行し、日光市となりました。
日光市は、豊かな自然環境と貴重な歴史的・文化的遺産、随所に湧出する豊富な温泉など、恵まれた観光資源を基盤として発展し、国内外より年間約600万人の観光客が訪れる国際観光都市に成長していきました。そして、平成18年(2006年)、旧今市市・旧日光市・旧藤原町・旧足尾町・旧栗山村の2市2町1ヶ村の合併により新日光市となり、現在に至っています。
日光の名前の由来
日光の由来についてはいろいろな説があります。観音菩薩の浄土を補陀洛山といいますが、その補陀洛山からフタラ山(二荒山)の名がついたという説、日光の山には熊笹が多いので、アイヌ語のフトラ=熊笹がフタラになったという説、男体山・女峰山に男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったという説などがあり、その二荒が日光になったのには、弘法大師空海が二荒山(男体山)に登られた時、二荒の文字が感心しないといって、ニ荒を“ニコウ”と音読し、良い字をあてて「日光」にしたと言われています。
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日光郷土センター |
| 住所: |
日光市御幸町591 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0288-54-2496 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
無休 |
| 入館料: |
無料 |
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